PARTY

DIARY

My Feminism

私がフェミニズムの勉強を始めたのは、展示会に来ていた

おばさんたちから問い詰められて上手に答えられなかったこと、

娘を妊娠したことがきっかけである。

 

それまでのフェミニストのイメージはTwitterでなんでもかんでも噛み付く人

モテないブスの騒がしい女、といったものだった。

(なんと無知で恥ずかしいことか!)

 

まずはじめに手に取ったのは田嶋陽子著の「愛という名の支配」、

それからジェンダー論についての本もはさみつつ

上野千鶴子ロクサーヌ・ゲイ等を読んだ。

 

何冊か読むうちに自分のなかにミソジニーがあることに気づいた。

ミソジニーとは女にとっての自己嫌悪のことだけど

私にとっては同族嫌悪のほうが近いかもしれない。

そしてそれは私の中だけでなく男女問わず誰の中にでもあった。

以外と身近な人が性暴力の被害者を追い詰めることを

思っていることがあって、でも私もミソジニーに気づく前は

同じように思っていただろう。

この気づきのおかげで日常には性差別が溢れているとわかった。

「女子力がある」とか「女らしい」は一見女を褒めるときに使われる言葉だけど

それは男にとって都合が良いという意味が隠れている最悪の言葉だった。

そしてそれらの時代遅れの言葉がまだ使われているということが怖い。

また、今話題になっている性暴力について、私は今まで遭ったことないな

と思っていたけれどよくよく振り返ってみると匿名でリアルとネットで

ストーカーされたり駅で何ヶ月にも渡って

キモいおっさん(怒りを込めて)につけまわされたことがあった!

他にも男に対してもっと強気に拒絶したらよかったな、ということも

何回かあった。若かった自分に拒むことは悪いことじゃないし

それならば嫌われたほうがよっぽどマシだよって教えてあげたい。

 

私は今、社会的にかなり弱い立場で新たな収入もなく一人ではどこへもいけない。

何かあったらと思うと理不尽な文句に言い返すこともできないし

とにかくトラブルを避ける努力をしないといけない。

働いて自立できる特権がなくなって、身体的な弱者になって初めて

社会に蔓延する女性差別(マイノリティや弱者に対する差別?)

に気づき怒ることができた。

フェミニストを名乗る人の発言でも、それはないんじゃない?って

思う発言や怒りにまかせた意見もあるけれど

人によってフェミニストになった背景はちがうから当たり前なのかな。

これからなるべくおかしいと思ったことにはその都度声をあげていきたいし

次の世代の女の子のためにもっと生きやすい社会にしたい。

 

思っていることを文章にするのはとっても恐ろしい。

特にデリケートな話題は。

だけどこうやって自分で考えてアウトプットをして考えを広めないと

何も始まらないと思った。

できることは少ないかもしれないけれど今置かれた状況で

できることをやる、これしかないと思う。